いまこうしてインターネットがあるのも、すべて彼が遺した「愛」ゆえに──追悼、ロバート・テイラー

その名を知らなくても、恥じることはない。ただし、世界中の人が、彼の残した遺産の恩恵に浴していることは知っておいたほうがいい。NASA、ARPA(現在のDARPA)、PARC(パロアルト研究所)など科学技術の最先端と呼ぶべき組織を渡り歩いたロバート・テイラーが、2017年4月に亡くなった。

必ずしも個人として表舞台における知名度を誇った人物ではない。彼の名を知らない人も多くいるだろう。しかし、テイラーと彼のチームがその誕生に貢献した情報技術は、いまや世界中の誰もが触れ、その利便性から恩恵を受けていない者などいない。

ヒューマン・マシン・インターフェイス関連で数々の業績を残したコンピューターサイエンスの権威、ダグラス・エンゲルバート(1925〜2013)と出会っている。のちにエンゲルバートがコンピューターのマウスを発明した際に研究資金を確保できたのは、ほかでもないテイラーによる貢献が大きかったと言われている。

エンゲルバードのマウスは、赤外線でもトラックボールでもなく2つの車輪が備わっており、それぞれX軸、Y軸方向の動きを検知した    PHOTO:      GETTY IMAGES

1970年代に入ってカリフォルニアへ移住したテイラーは、当時ゼロックスに新設されたばかりのPARC(パロアルト研究所)に雇われる。そこでも、マウスによるGUIを世界で初めて導入したコンピューター「Alto」や、現在オフィスや家庭でもっとも一般的に使用されているLANの規格「イーサネット」、ワードプロセッサーソフトの代名詞「Microsoft Word」の前身となった「Bravo」、アドビシステムズの創業者がページ記述言語を担当した最初のレーザープリンターなど、今日のインターネットやパーソナルコンピューターの原型を形づくった多くのテクノロジーの開発に助力した。

彼の研究チームは前述したもの以外にも、「アイコン」や「ポップアップメニュー」、「カット・アンド・ペースト」といったいま誰もが日常的に使用している技術革新を成し遂げた。スティーブ・ジョブズは1979年に同研究所を訪れてこうしたイノヴェイションに刺激され、アップルの「Lisa」や「Macintosh」を生み出すヒントを得たともいわれている。

「それはまるで、愛のよう」

「小規模のチームが一丸となって本当に困難な壁に立ち向かうとき、そこには筆舌に尽くしがたい愛のようなものが生まれるのです」。かつてPARCでテイラーとともに働いたパーソナルコンピューターの父、アラン・ケイは当時を振り返ってそう語る。1996年に現役を退いたテイラーは、コンピューター技術開発の先見的リーダーシップを讃えられて99年に米国国家技術賞を、世界初の実用的ネットワーク型パーソナルコンピューターへの貢献が評価され、2004年にチャールズ・スターク・ドレイパー賞を獲得した。

 

引用:TEXT BY RITSUKO KAWAI

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          [ 原文]

       You’ve Never Heard of Tech Legend Bob Taylor, But He Invented ‘Almost Everything’


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